Clinging

たい焼きが好きです。

祈り

まさかキエフまで攻めてくるとは本当に思っていなかった。

正直なところ東の方しか攻められない、何年か前のクリミア危機の程度だと考えていた。

New York Timesで報道が出た時も、以前のアフガンだってあの調子だったし、正直なところまたかと思ってしまった。あまり真剣には読まず、とにかくドネツクのあたりが大変なんだろうと、ただただ考えていた。

家に帰るとき、報道を見て驚いた。キエフにまで攻めてきているという。


わたしには留学していた頃に出会った、ウクライナ人の友人がいる。名前をAnnaとする。Annaはとても親日家で、出会った初日からわたしが日本人ということで喜んでくれた。


私はコミュ障で誰かと話せば話すほど嫌われるのがいつものパターンなので、長く離れていて無事だろうかとふと気になった人に対しても、こちらから連絡をいれないように心がけている。かつては親しい人がいなくなることを極度に恐れたけど、自分の周りの人が離れていって、いろんな人とは疎遠になった今、相手と距離を取(られ)ることの苦しみも気にならなくなった。しかし今、Annaと連絡を取り続けられる勇気も、受け入れられるだけのコミュニケーション力もなかったことを本当に後悔した。彼女は今無事だろうか。


留学先で一緒にいた頃、たしかに喧嘩をよくした。ウクライナ人女性はとにかくおしゃべりだ。こちらの様子を気にせずとにかく一方的に喋るし、主張が強くて困る時もあった。しかし、今は彼女たちが持つあの主張の強さで(ちなみにAnnaと同じぐらいパワフルなウクライナ人女性を今まで何人も見た)この危機を乗り越えてほしいと感じる。いつかキエフに食べに行こうと思っていたシルニキも、美味しいジャムも、本当に全て味わえなくなるかもしれないなんて。あの有名な金色の教会も見たかった。そして何より、あの時であった人たちがどうか何事もなくいてほしい。


人に対して冷たい自覚があるけれど、今回は本当に見栄とか関係なく無事でいて欲しいと強く思ってしまった。昨日、宇多田ヒカルのインスタライブで大切な人が死んだ後の後悔についての話を聞いたばかりだったので、どうも悪い想像だけが先に進んでしまう。この想像が現実になってほしくない。


明日は彼女に教えてもらったウクライナ風のパンケーキを作ろう。そして、美味しい紅茶にジャムを入れて飲もう。彼女が大統領選挙のために一時帰国した際買ってきてくれた、りんごとベイリーフのジャムを思い出す。

夢の記録

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夢の記録

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私は美容院で髪を切っていた。今ある長い髪の毛を切って、ボブカットにした。

そのあと、シャンプーとかを買いに違う店へ行った。そこは夢の中では馴染みのあるらしい店で、おばあさんが店番をしていた。昔ながらの商店で、他にもいろんなものが売っていて、レンタル屋さんにもなっていた。何をレンタルしていたのかはよく覚えていない。

そのあと一度家に帰って、何日も経ったのだろうか、再びその店に向かった。私は何故か茶色のエプロンと赤いチェック柄のシャツを着ていた。そのまま夕日の中を歩いてあのお店に向かった。

お店に着いた時、おばあさんの代わりに娘らしい2人の年配の女性がいた。店のものはほとんどなくなって、予約者のみレンタルができる仕様になっていた。あちらこちらに白い布が目立った。

私は棚に並ぶ容器からシャンプーを手に出していた。私はそこで洗い流せると思ったんだけど、洗い流す場所はないからそのままタオルで拭いてくださいと言われてしまう。一度手に出した液体は戻せないから、仕方なく髪の毛に塗って泡立て、そのままタオルで拭くことにした。

髪の毛を拭いて帰る間際、あることを尋ねようと思った。でも聞けなかったから、「この店は親族の方同士で経営されてるんですか」と聞くと、ええそんな感じよと答えられる。

すると年配の女性のうち1人が、髪を切って差し上げましょうかと言う。髪の毛はべたべただったけれどお願いをして切ってもらった。何も指示は出していないまま、髪の毛はどんどん短くなる。髪先が肩についていたボブカットヘアも、肩より短く、量も少なくなっていって、気づけばベリーショートになっていた。

あたりの棚に散らばる白い布とレトロチックなオフホワイトの店内で、自分が一昔前の美人になったように感じた。鏡の中の私は美しかった。出来上がりは見事なS字ウェーブがかかった髪型であった。

1番聞きたいことを聞けず、私は店を出た。そこで夢は終わった。